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第二次世界大戦後の沖縄県における造林事業の変遷
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中須賀常雄 (沖国マングローブ協会), 岸本 司, 谷口真吾 |
沖縄県は、亜熱帯域に属し、森林は海岸部にはマングローブやガジュマルなど熱帯要素からなる海岸亜熱帯林、内陸にはシイ、カシ類を主とする暖帯要素からなる山域亜熱帯林とから構成されている。沖縄(琉球)での、人工植栽の記録は、1501年の「円覚寺松尾の碑文」にある”琉球松千本を植栽した”とされている。その後、1609年の慶長の役以後、森林資源の回復を目標とした蔡温による山林取締り、植栽方法などが公布され、その方針が明治〜昭和と引き継がれてきた。今次大戦後、荒廃した国土を緑にと、1949年には官営の「蔡温苗畑」が開設され、苗木の生産を開始したが、これらは公共施設用で主力はモクマオウであった。1951年の森林法の公布により山林における造林が開始されたが、その大半はマツの人工下種で、その他、スギ、イジュ、センダン、イヌマキなどが植栽された。復帰後は、この人工下種が減少し、造林樹種が多様化していったが、マツの材線虫による被害などにより、造林事業は変更を余議なくされている。本論では、今次大戦後の沖縄県における造林事業の方向性や樹種などの変遷について発表する。 |
402 |
沖縄県におけるマングローブ湿地保全活動の変遷
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岸本 司(
(沖国マングローブ協会), 中須賀常雄, 谷口真吾 |
沖縄県は、亜熱帯域に属し、河口部および海岸部にはマングローブ湿地が見られその景観を特徴づけている。1970年代以前はマングローブに関する生物・生態学的調査研究が主であったが、日本に復帰した70年代以降はマングローブ林の分布や林分状況の調査が開始され、さらに80年代には沖縄国際マングローブ協会等NGOや日本マングローブ学会が発足し、90年代も含め湿地保全や植栽技術等の多角的な調査研究が行われるようになった。さらに湿地保全関係NGO等による植栽もこの時期行われるようになった。2000年代に入り、分布域が広がりすぎたマングローブ林の伐採や、洪水防止のため河川断面積確保のためのマングローブ林の除去が検討され、最近、伐採・除去作業が実施されるに至った。本論では、1970年代よりの沖縄県におけるマングローブ湿地の研究、植栽、維持管理の動向や方向性の変遷についていくつかの事例を説明しながら報告する。 |
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船浦ニッパヤシ植物群落保護林の樹勢回復試験のその後
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簗川伸一 (九州森林管理局 西表森林環境保全ふれあいセ), 山下義治 |
沖縄県西表島には我が国唯一のニッパヤシ自生地が2箇所存在し、特に船浦のニッパヤシ群落は世界の北限に位置していることから植物地理学上重要な植物として、国の天然記念物、林野庁の植物群落保護林に指定され、環境省のレッドデータリストではその希少性から絶滅危惧IA類に評価されている。群落周辺の自然環境はオヒルギ等が上層木としてニッパヤシを覆い群落の衰退が危惧される状況にあったことから、平成15年度に群落の維持回復に向けた「船浦ニッパヤシ植物群落保護林保護管理対策調査」を実施するとともに有識者からなる検討委員会における検討を踏まえ、平成16年度、平成18年度の2回に分けてニッパヤシの群落維持及び樹勢回復措置の一環として周辺上層木の除伐を実施した。平成17年度以降のニッパヤシの生育状況及び周辺環境の変化等についてモニタリング調査を実施しているので、これまでの経過について発表する。 |
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小笠原諸島西島における外来樹種モクマオウの急速な分布拡大
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安部哲人 (森林総研九州) |
侵略的外来種はひとたび侵入すると速やかに分布域を拡大し,優占種となって次第に周囲の在来種を排除する.このため,侵略的外来種対策はグローバルな生物多様性保全にとっても重要な課題とされている.特に海洋島では競争に弱い在来種が多いため,侵略的外来種の影響力は増大する.モクマオウはオーストラリア原産の高木樹種で,日本でも海岸砂防や造林目的で導入された亜熱帯島嶼に定着している.今回,小笠原諸島西島で過去の植生図と現地踏査の結果を比較したところ,モクマオウの急速な拡大が明らかになった.一方,西島の植物相は貧弱であるものの,いくつかのレッドリスト記載種が確認された.西島では外来種クマネズミの根絶が行われ成果をあげているが,生態系復元のためにはモクマオウ対策を行う必要があることが明らかになった. |